人と数字とエビデンス

去る8月1日にホワイトイン高崎で催された、「奇跡のリンゴ」でおなじみの木村秋則さんの講演会に行ってきました。

内容としては「奇跡のリンゴ」のお話ではなく(ちょっと残念)その後に取り組んでいる自然栽培のお話で

日々の仕事に役立つヒントがあるとか、その取り組みに何かしらの形で参加するとか

そういう「直接的」に得るものがたくさんあった!ということではありませんでした。

 

でも、ものすごい熱量でお話される様子を拝見している中で

今の自分が忘れてしまったというか毒されてしまったというか

そういう反省させられることがありました。

それがタイトルの「人と数字とエビデンス」について。

 

お話の中で、自然栽培で作られた野菜を給食に提供したところいじめや引きこもりが減り

1校だけで始まった取り組みが今は地域の多くの学校に広がっているというエピソードが紹介されました。

 

それを聞いてすぐにオートマチックにこう頭に浮かびました。

「減ったって言われても数字で示してもらわないとわかんないよなぁ」

平たく言えば、数字を見ないといまいち信用できないと心が勝手に思ったわけです。

 

数字が示されなかったらまずは疑う。

これはちょっと、なかなかに、そうとう恐ろしい思考だと

ちょっと自己嫌悪に陥る感じがました。

数字で示せ、エビデンス(証拠・根拠)はあるのか

これはビジネスの世界では当たり前に言われていることです。

それがいつの間にか日常の中にまで入り込んでいるのだと少し怖くなったのです。

 

数字やエビデンスを示されたところで、そこにどれだけ信ぴょう性があるかわからないことも多く

本当にそのことが信用・信頼できるのかということを突き詰めると

その数字のエビデンスを示せ!

そのエビデンスのエビデンスを示せ!

そのエビデンスのエビデンスのエビデンスのエビデンスの……エビデンスを示せ!

という無間地獄に陥るはずです。

 

では僕らは何を信じているのかというと、裏付けとなる数値やエビデンスが示されたところで

結局は「数値やエビデンス」を示したその「人」を僕らは信じているわけです。

だとしたら、僕らがすべきことはエビデンスを求めることではなく

その人が信用・信頼できる人かを一生懸命に誠意をもって見極めることのはず。

そうして信じられる人だと判断したならば、その人の発言を信じるということが

とても大事なんだということを思ったわけです。

 

いつの間にやら楽をして、数字やら論文やら過去のデータやらを簡単に信じて

発信する人が信用・信頼に足る人かどうかを一生懸命に感じ取るということについて

手抜きをしているんじゃなかろうか……と。

そしてそれは裏を返せば、自分自身を信用・信頼してもらう努力を怠って、数字やエビデンスを示すことで

信用・信頼してもらおうと手抜きをしていることでもあるのではなかろうか……と。

そんな薄ら恐ろしいことを考えた「奇跡のリンゴ」木村さんの講演会でありました。

 

 

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