大学を卒業後、田舎へ帰り某プレハブ住宅メーカーの営業をしていた。
文学部で教職を取っていなかったから就職先は何となく営業職かなと思っていて
ならばでかいものを売ろう
で
ずっとインテリアが好きだったから住宅だろう
という単純な発想だった。
5年ほどたってまぁまぁの成績は残しつつも
「やっぱりインテリアの仕事したいよなぁ」
と思い立ち
「やっぱりインテリアの仕事と言えば東京だろう」
という単純な発想で、いざ東京へ。
でもそう簡単にインテリア関連の仕事にはつけず
それでもインテリアには何となく関わっていたいなと思って選んだバイトは
帝国ホテルのレストラン。
帝国ホテルのレストランの賄が食べられる上に
あのフランク・ロイド・ライトのデザインした(部分はほぼ残っていない)
あの帝国ホテルで働ける!
という、これまたかなり単純な発想だった。
働きながら就職先を見つけること1年弱。
やっと見つかった就職先は
最近特に有名になった某大手家具屋さん。
研修期間が終わるとショールーム配属ではなく
どういうわけか
法人を相手に主に特注家具を納める部署に配属になった。
当時の特注家具業界を取り巻く環境はというと
ホテルや大規模の商業施設の家具や内装・造作を手掛けていた
百貨店が持っていた法人向けの特注家具を扱う会社が次々に解体されていた時期。
三越製作所とか西武百貨店建装部とかから
省庁や一流ホテルの仕事をしていたような人がその某大手家具屋さんの
法人営業部へたくさん入ってきていた。
(中には極秘で昭和天皇の棺を作ったなんて人もいた)
そういう人たちが集まる部署へ家具ド素人のただのインテリア好き
印度哲学科出身の元住宅営業マンが入ったもんだからさぁ大変。
「ネリツケ」「フラッシュ」「カネ」「アツヅキ」「ドッコ」
いまは何が分からなかったか分からなくなってしまった未知の専門用語に囲まれて
「恥ずかしいから『センチ』は使うな」なんて言われながら
ドラフターや平行定規を使って
「太さが変わるからシャーペンは回しながら線を引け」なんて言われながら
ごくごく簡単なダイニングテーブルの図面なんかを手描きで描くところから
家具修行は始まったのだった。
(待ってろキャドとらや!!!)
と、心の中で叫びながら。
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